告白~大切な人へ~
11月11日に大神島から帰宅してのKIKIさんとの「透視リーディングセッション」を受けて、私の中で大きく変化したものがありました。
目に見えない無意識下のエネルギーレベルの変化なのですが、現実にもその変容が現れてきているようにも感じます。
『レムリアの復活』というと変人に聞こえるかも知れませんが、日本人という血流の中に脈々と受け継がれてきたものが呼び起されつつある感じです。
私にとっては今まで隠してきた大切な人への想いの『告白』でもあります。
最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
プロローグ
遠い遠い昔、いつの時代かも分からないヨーロッパのどこかの街で、その少女は体を売ることで生計を立てていた。
どうして娼婦になったのかは分からない。
きっと自分の母親も娼婦だったのだろう、物心ついた頃には、そうやって男に抱かれることが仕事だった。
19歳の時、赤ちゃんを身籠った。
もちろん、誰の子どもかなんて分からない。
つわりの吐き気に耐えながら、それでも体を売るしかなかった。
子どもを墮胎する方法も分からず、産むという選択しかなかった。
産まれてきたのは、可愛い可愛い女の子だった。
この子もまた、自分と同じ娼婦の道を歩むしかないのか…
そう思ったら女の子を産んだことに後悔しかなかった。
売春宿に誰からともなく、子どもを引き取ってくれる教会があるという噂が流れた。
暑い夏のある日、市街地から出たことが無い少女は、街外れの山の中にあるという教会を訪ねることにした。
噂は本当で、その教会では身寄りの無い子どもを預かり、子どもが欲しいという家庭にもらわれて行くまで育ててくれるという。
自分の娘でいては、また同じ娼婦としての生き方をするしかない。
教会に預ければ、どこかのお金持ちの家に貰われて幸せな人生を歩めるかもしれない。
そう思うと少女には愛する娘を手放す選択しか無かったのだ。
夜にはまた売春宿に戻らなくてはならない。
日が沈むまで、教会の片隅でただただじっと娘を抱いていた。
とうとう帰らなくてはならないタイムリミット。
少女はスヤスヤと気持ちよさそうに眠る我が娘を教会の奥さんに手渡した。。。
失われた女性性
私には、3人の息子と一番下に末っ子の娘がいます。
子どもの頃から何故か子ども3人は産むと決めていた私は、母が私を生んだ年齢とほぼ同じ歳で妊娠、私と弟とは歳が1歳4か月違いなのですが、長男と次男も同じ歳の差で産みました。
初めての出産の時、内心どこか母親になることを否定していた私は、「その辺のおばちゃん達はみんなやってるんだから出来るでしょ!」と出産のギリギリまで仕事の図面を描き、友達と明け方まで飲み会、母親教室などに一切通わず、産後の知識がほぼないままに出産に挑みました。
覚えているのは、里帰り出産で実家にいる時に陣痛が来て、産婦人科まで母親が運転する車の中で、
「うんちをするみたいにウンっときばるのよ。」と一言お母さんに言われたことくらい(笑)
10か月以上に渡る巨大な便秘を解消して、無事に長男を出産したものの、産んだ後は「そんなの聞いてないよ!」の連続。子どもは産みさえすれば勝手に育つと思ってたのに、おっぱいだうんちだと夜中に何度も起こされて、世の中のお母さん達は何て苦労をしているんだと驚いたのが最初の出産でした。
普通だったら最初の子どもを産んだ時の感想って「生まれてきてくれてありがとう」とか、それはもう感動の瞬間だと思うのですが、最初の出産直後の私の心の声は
「これならあと二人くらいは産める」 でした。
長女の妊娠・出産
二人目、三人目の出産の後、もうこれで人間としての私の役目は終えたくらいに考えていたところに、四人目の妊娠。
私は弟二人の三人兄弟だったので、子ども三人の子育てなんて自分の親でもやれたんだから、私もできるはずと安易に思っていたけど、田舎と違って大都会の東京で近くに頼れる親戚がいない中、男の子三人の子育ては想像以上に大変でした。あまり記憶がないくらい(笑)
なので、四人目の妊娠が分かった時、正直喜べず、産むことを迷い、不妊治療中の友達に養子に出そうかと打診したほどでした。
養子の話は無くなり、四人目が女の子だと判り、常々母親に「一人は娘を産んだ方がいい。」と言われていたことを思い出し、自分の子として産むことを決めました。
ここまで書いてきても本当に薄情な母親ですね。
なので、子どもを望んでいるのに妊娠出来ないという友達に申し訳ない気持ちもあり、あまり言わないようにしています。気分を悪くされた方はごめんなさい。
そして、そんな子育ての中で、よく子持ちの友達から
「加代ちゃんはよく子どもに怒らないでいれるね。イライラとかしないの?」
と言われていました。
いつからか、怒っても無駄だという諦めや自分の子どもにもどこか他人事のような見かたをしていたのかもしれません。子どもは生まれたそのままの存在だけで素晴らしい、子どもの人生があるんだから親が口出しすることではない。という言い訳を添えて。
今思えば子どもにどう接していいか分からなかったのかも。。。
ある時、まだ3歳の娘に言われた一言
「ママってよその子に優しいよね。」
それって、大人からしたら外面を良くしてるだけで、本当は自分の子が一番可愛いんだよとか理解できるのかもしれないけど、当時3歳の娘の一言に何も返せない自分がいました。
自分の子が一番可愛いという一般的とされる『親心』が分からなかったのです。
私は自分の母親に対して絶対的な『憧れ』を抱いています。
誰もがそう思っているかもしれませんが、憧れってちょっと親密度で言うと遠い気がしませんか?
三人兄弟の長女、共働きの両親の元に生まれて、お母さんはいつも仕事が忙しく帰りも遅い、職場が近いから顔を合わさない訳ではないけど、「お母さんが帰ってくる前には寝てなさいよ」というのが、小さい頃の躾としていつも言われていた言葉だった。
忙しいお母さんに迷惑をかけない。
それが少女の頃の私のマストでした。
そんな幼少期に植え付けられた潜在意識からか、出産育児に対してもどこか他人事。
結婚すること、子どもを産み育てることも義務感からやっていたのかもしれません。
私は女の子を育てる資格がない
仕事や弟の世話で忙しい母親から、愛情を受けられなかったという子どもの頃の想いは、私の二人の祖母と父の姉である近所に住む叔母さんが十二分に受け止めてくれていました。
その潜在意識の現れなのか、ラッキーなことに、娘には父方の祖母である元夫の母親が、息子の孫たちの中で唯一の女の子、孫娘のヒメを目に入れても痛くないくらいに可愛がってくれました。
義母は、私に三男が産まれた時「また男の子かい」と言って見向きもしなかったのに、長女が産まれるや目の色を変えて、彼女がいたから一緒に宮古島に移住したくらい孫娘のヒメを可愛がり、私が手を出す隙も無いくらいでした。
私はそれをいいことに、ヒメにはおばあちゃんがいる。
とほぼ一切の娘のお世話を義母に任せていました。
そもそも不登校やら何やら、手のかかる息子三人の世話でそれどころではなかったのですが、私には、女の子が好きになるピンクのお洋服もお人形も、ビーズのアクセサリーも全く好みではなく、どうしたら娘が喜ぶのか分からなかったのです。
実はそこに、私の中の少女性がすっぽりと抜け落ちていたようでした。
本当はお母さんに甘えたい、可愛いお人形さんのように扱われたい、そのことをヒメに重ねて、、、そして、ヒメと離れることで、私の中の少女性をなかったことにしたのです。
母親が何も伝えなくても、娘がいつか子どもを産んだ時に分かる。私がそうだったように、母親の愛情がどんなものか娘は言わなくても気づく時がくると。
勝手な言い訳ですよね。娘が子どもを出産するという確証もないのに。。。
どうしてこんな現実が起こったのか?
どうして娘を愛することが出来ないのか?
無意識下で、
「私は女の子を育てる資格がない」
と思い込んでいた所以は何なのか。。。
KIKIさんのセッションで、潜在意識の過去生に隠されていた秘密が明らかになりました。
私は汚れた女。。。
どうして、娘を我が子のように可愛がってあげることが出来ないのか。。。
いつか分かってくれると言い訳をつけて、今すぐに抱きしめることが出来ないのか。。。
KIKIさんに「私は女の子を育てる資格がない」と無意識で思っていると言われた時、自然と涙が溢れ、私の本当の気持ちを言ってくれてると思いました。
私には娘を育てる資格はない。
他人に委ねなくてはならない。
娘に触れてはいけない。
何故なら私は汚れた女なので、、、
私は娼婦という汚らわしい女で、本当に純粋で神聖な女の子に触れてはいけない。
生涯、娘であろうが穢れのない彼女に近づいてはならない。
母親としての私は存在しなかったこととして封印する。
という誓いを立てていました。
なので、少女であり母親である私という存在すら亡かったかのように、その方が上手くいくと思い込んで、私の中の女性性を閉じていました。
そして、今それに気づきエネルギーレベルでの契約解除が出来たのです!!
エピローグ
そして、これにはアフターストーリーがあって、
教会で愛娘を手放し離れ離れになろうとした娼婦の母親は、その瞬間思い直し、娘を引き戻して自らが育てたという。
そして、その母娘はいつか教会の銅像となり、母親の尊い愛のシンボルとして、同じような境遇で心に傷を負った母親や少女たちの癒しとなったという。
私が動画として内容を販売公開しようと思ったのは、恋愛や結婚に向き合えない女性への一つの癒しやキッカケになれば良いなと思うところがあったのかもしれない。前世で母性のシンボルとして銅像になったように…
「あなたは一人の男性を心から愛することが出来る価値のある女性です。」
Vol.5は普段泣かない私がほぼ泣きっぱなしです。
KIKIさんの一つ一つの言葉が全ての女性を癒してくれます。
この契約解除が行われてから、やっと娘を抱きしめることが出来なかった自分を赦すことができ、本当の意味での愛が溢れて来ました。
動画を観ることで、あなたの琴線に振れる何かを見いだせるかもしれません。
是非、透視リーディングセッション最終回をご覧になってみて下さい。
44歳バツイチ独身女がどうして結婚相談所をやってるの?!
その秘密は、ブレッシングメイク創始者のKIKIさんによる『透視リーディングセッション』で明らかに…
遂に最終回vol.5の公開です。潜在意識に埋め込まれた過去生からの秘密が明かされます。
「透視リーディングセッション」vol.1+vol.2セット
「透視リーディングセッション」vol.3の詳細はこちら
「透視リーディングセッション」vol.4の詳細はこちら