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3/18、宮古島に到着した日から丸10年が経ちました。

2011.3.11 東日本大震災
その日はちょうど、次男の卒園式でした。

当日、東京の江東区にあるスポーツ幼児園に通っていた次男にとって、卒園式は一大イベントで、3年間の集大成を見せるべく、園児全員が逆上がり、三点倒立、跳び箱6段跳びと、日頃の成果を披露する卒園式が執り行われました。
午前中に卒園式を終えた後、午後は、父母が主体となった謝恩会でした。
ママ達による出し物のステージの真っ最中、地震が起こりました。

卒園式会場が、豊洲だった為、津波警報が出て、謝恩会もそこそこに帰宅しました。

その日は、ことの重大さにあまり気付かず、テレビの中の映像が映画の中の世界のような、どこか次元が違う世界のように感じていました。

土曜日と日曜日の会社がお休みの期間、当時、自らが経営する会社の社長でもあった元夫は、非常用の食料品やら避難用具をスーパーやホームセンターに買いに行き、BBCなど海外のニュースをネットで見続けていました。

休日が明けた3月14日の月曜日、福島原発の3号機が爆発。

その瞬間を、まるで映画のワンシーンのように、自宅でテレビ中継で観ていたところ、元夫から「逃げるぞ、とりあえずの荷物を用意しろ!」と電話がありました。

元夫は、土日に調べ上げた海外のニュースから、福島原発が既にメルトダウンしていると判断。
月曜日に出社してきた社員、パートさん全員に「解散!全員西に逃げろ!」と指示をして、会社を後にしました。

仕事や会社が大事?
それとも、愛する人や人生が大事?

3月14日の午後、とりあえず、一週間分くらいの家族全員の着替えと、当時、末っ子長女が生後半年の赤ちゃんだったので、大量の紙おむつと当面のミルク缶、非常用の避難用具にカセットコンロや鍋を、義父から借りたステーションワゴンいっぱいに積んで、私の実家がある福井県に向かって出発しました。

実家に到着したものの、元夫は終始ピリピリしていて、東京の友人達に、なるべく早く関東から離れるべきだと電話で話していました。

翌日には、会社の同僚で、長男の保育園からの幼なじみ家族も東京から福井の実家に到着。
元夫は、福井も原発が多く危険だという判断から、ふた家族一緒に、更に西へと移動することに。

当時、会社の倉庫があった広島に向けて出発したものの、京都の舞鶴で、3月には珍しい大雪に合い、スノータイヤをはいていなかった為、高速道路で立ち往生。山奥の温泉宿に泊まることになりました。

作戦会議の末、広島に行くことを諦め、関西空港から沖縄に向けて飛ぶ事に。
2台の車を乗り捨て、タクシーで関西空港へ。
放射能の雪を浴びたからと、その時着ていたコート類を関空のトイレのゴミ箱に捨てて、沖縄行きの飛行機に乗りました。

そんな危機迫った逃亡劇の末、3月18日に宮古島に到着したのでした。

あれから、10年
世界中の空気中、海中にばら撒かれた放射性物質
当時は、放射能の怖さをネットで調べまくっていました。

そんな両親の姿を見て、次男は、自分は放射能アレルギーだと思い込んでいたので、入学したての小学校の友達に笑われたそうです。

今、コロナウィルスのことをとやかく言うつもりはありません。

放射能を見て見ぬ振りをしていた人々が、コロナウィルスの陽性患者の数に一喜一憂している謎

この世界には、放射性物質、予防接種、ワクチン、農薬、化学物質、人体に害を及ぼすと言われるあらゆるもので溢れています。

本当に大事なもの

人の優しさや温もり、人と人との繋がり

それだけは、見失わないで生きて行こうと思います。

命あっての物種
AIには変わらない、超えられない人の能力がある。

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